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「好き」を哲学するの巻-2018年5月10日の「スキドコのラジオ」
更新日:2018年6月18日
「好きを分解する」展が無事終了しまして、今週は、いわば「好きを分解する」展スペシャル最終回でした!(展覧会のまとめについては、こちらの記事をご覧ください!)
最終回は、4月30日(月祝)に開催した、「スキドコロジーvol.01」の講座の様子の録音を私の気づきや感想と共にお送りしました。
スキドコ+logy(学問する)の造語で「スキドコロジー」と名付けた、
学問からスキドコにアプローチする講座の一回目は、哲学&芸術学。
北海道情報大学の三浦洋先生にお話を伺いました!

○2018年5月10日(木)「スキドコのラジオ」
収録:4月30日(月)「スキドコロジーvol.01」
講師:三浦 洋先生(北海道情報大学教員)
三浦先生が用意してくれた、添付の資料を見ながら聞いてもらえると、
より理解しやすいかもしれませんので、添付します。
座標を用いて、「好き」を4つの象限(座標で区切られた4つのエリアを象限って言うの知らなかった)で表していただきました。
O.Aの時間の関係でちょこちょこ編集してしまったので、
もうちょっとちゃんと聞きたいという方は、ノーカット音源を最後にあげておきますので、こちらでも聴いてみてください。参加者との質疑応答もあります。
三浦先生は、古代ギリシャ哲学がご専門ということで、
ソクラテスやプラトンの名前が定期的に出てきます。
古代ギリシャ哲学において、「人間の目的は善く生きること」であり、
善く生きるとはどういうことか、が1つ大きなテーマになっています。
善く生きるとはどういうことなのか?という問いの中に、「好き」に繋がるキーワードとして、「欲求・自由・善い・芸術(または快い・美とも置き換えられそう)」が出てきます。

私なりに音源も聴いていくうちに少しずつ理解も進みますが、進むほどに
本当に素晴らしい、良く出来ている座標だなと思っちゃいます。
「好き」という言葉、概念の柔らかさ、多様さも見えてきます。
講座の最後の方に出てきますが、やっぱり今回の個人的な収穫は、
好きということには、
「判断」:論理的に説明ができるもの、「善い・良い」という判断を含んでいる
「感情・快い」:肯定的な感情を伴っている、心の中の問題
の2つの価値が無差別に使われているということですね。
一般的に、「***が好きです」と言った時に、
この両方が混在していて、でもどのように好きですか?とこの2つの価値を詳しく聞き出すことはあまりないのが普通だと思います。
これとぴったりフィットするとは言い切れませんが、
今回「好きを分解する展」では、
「社会的・認知的な見方」:論理的に考えたり見たりすることの好き
「個人的・感情的な見方」:感覚的に見たり聴いたりすることの好き
に分類し、人によって見方・楽しみ方の違いを提示したのですが、これと近くて、
当日は「この考え方はハズレではなかった!」とテンションが上がりました。


お話の中に出てくる、J・S・ミルの「自由論」も改めてとても興味が出ました。
(きっと学生時代に勉強してるんだろうけどな...本当申し訳ない)
ミルの自由論は、世界各国の憲法の自由についての表記に大きく影響を与えているもので、日本国憲法の13条の幸福追求権も、この「自由論」をベースにしているんだそうです。
(っていうかこの表紙に見覚えあるから、もしかしたらお家にあるのかも...?)
「善く生きる」ということを追求するあまり、低次元の欲求を捨て置けという話ではなく
人間誰でも快さを求めている(生物的な低次元の欲求)上で、さらに人間は高次元の欲求・快さも求めていくものであり、それが人間の全体性であるという話に行き着きます。
日本にいる1億3千万人の人の、1億3千万の好きがあり、
世界には70億人の人の、70億の好きがあり、
それを認め合うことが大事だなぁと改めて思いました。
朝日新聞の寄稿のときにも書いたけど、「好き」という肯定的な感情から、
そのあなたの「好き」もなんだかいいね、悪くないねと、
他者理解の1つの入り口になるといいなと感じるのでした。
「スキドコロジーvol.01」編集なしの音源はこちら(Dropbox)
スキドコロジーvol.02も計画していきたいと思います!
三浦先生、この度は本当にありがとうございました!
さて、来週の「スキドコのラジオ」は(サザエさん風)、
ゲンカンパニー Gen&Co.の代表 村上智彦さんをゲストにお迎えします。

現在、恵庭で宮大工として活躍する一方で様々な面白いプロジェクトを
展開している村上さんですが、現在、「ARAMAKI」というプロジェクトの展覧会を
開催中(D&department 大通西17丁目)です。
ゆっくりお話するのは初めてなので、ワクワクです!
どうぞお楽しみに!
そんなこんな書きながら、私の仕事と「好き」を結びつけて考えてみる。
私は、広報・PRの仕事を各所からいただいて仕事をしているのですが、
やっぱりその対象を「好き」にならないと、広報って務まらないもので、
なぜなら説明に気持ちがこもらないからです。
メディアの人や受取手に、これがいいよ、意味があるよ、ぜひ伝えてくださいって言うためにはその対象を好きでないといけないんですよね。
(演技上手は出来るかもしれないけど、私はそのやり方しか出来ないのだと思います)。
なので、新しいジャンルや業態、商品などを扱う場合、
その対象の好きになれるところはどこなのか、探して、考えて、想像(あるいは創造)して、世の中にとって「善い・良い」ものであるという認知を自分の中で作った上で
どういう風に広報していくか、という風に考えているようです。
逆に、それが出来ない商品は広報出来ないかもしれない(宣伝は出来ても)。
なんだか頭が硬いなぁと日々思っているんだけど、
きっとこれは私のポリシーであり、スタイルだから仕方ないのかもしれない。
そろそろ、私の広報PR歴も、10年を越えてきて、
一度ちゃんと棚卸をしなければいけないと考えている今日この頃です。